蓬莱町(ほうらいちょう)、正確には駒込蓬莱町は、東京23区のほぼ中心にある文京区の、中心よりやや北東に位置する、南北に細長い小さな街です。
起源は、元文年間(1736~40年)町屋を設け、これが隣接する四つの寺院、瑞泰寺・清林寺・栄松院・光源寺と、現在の都道452号線(神田白山線)を挟んで向かいにあったため、「四軒寺町」と称したことにあります。
1872(明治5)年2月に駒込浅嘉町の一部・駒込髙林寺門前・浩妙寺・浄心寺等の寺地等を併せ、このとき、中国の伝説の蓬莱山に肖り、「駒込蓬莱町」と改称しました。蓬莱山は、東の海にあって仙人が住む山で、縁起が良いところとされています。
現在、正式には駒込蓬莱町という地名は存在しません。1965(昭和40)年に住居表示の実施となり、向丘(むこうがおか)2丁目に編入されて、駒込蓬莱町という名前は消滅しました。しかし1921(大正10)年に設立された蓬莱町会は現在に受け継がれ、主に住宅地として、また教育機関・寺社の多い街となっています。
行政区画上は現在の「向丘2丁目」と重なる部分が多く、
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世帯数 |
人口 |
令和元年7月1日 |
1,969 |
3,318(男1,536 女1,782) |
令和2年7月1日 |
1,971 |
3,319(男1,522 女1,797) |
令和3年7月1日 |
1,949 |
3,304(男1,527 女1,777) |
令和4年7月1日 |
1,926 |
3,281(男1,520 女1,761) |
令和5年7月1日 |
1,986 |
3,329(男1,568 女1,761) |
令和6年7月1日 |
2,024 |
3,380(男1,583 女1,797) |
となっています。(向丘2丁目として。住民基本台帳)
12月26日(火)、 蓬莱町内の郁文館夢学園書道部様の多大なるご協力により、書初め練習会を開催しました。
小学3年生6名 4年8名 5年1名 6年1名 中学1年生1名 2年1名 計18人で行いました。
まず、東海林先生から上手に書けるコツを教えていただき、部員さんがほぼマンツーマンでコーチしてくださり、清書数枚のうちから一番出来栄えの良い作品を先生と一緒に選びました。画像2~4枚目は最初に書いたものと清書のビフォーアフターです。
子供たちも集中力を切らさず、夢中になって打ち込んでいました。みんなとても上手に書けていました。流石名門書道部さん、教え方が上手くて、限られた時間の中、最高の一枚を書き上げさせて下さいました。