日本には、古くから神道という宗教があります。宗教には、実在した人物の教祖があるもの(たとえばキリスト教、仏教、イスラム教)と、特に教祖がなく、天然物を崇めることに起源をもつもの(アニミズムanimism)があります。アニミズムの例としては、世界的にはアフリカ先住民や北アメリカ、南アメリカ先住民の宗教があります。日本の神道もまた、教祖を持たない宗教です。
宗教にとっては、神が頂点を占めます。神とは何かを論ずると、各宗教の違いや、哲学的論考も含めて深淵を極めますが、日本の神道においては、自然現象の随所に神が宿ると考えることに特徴があります。神道の神々は人々の生活と深く関わり、「八百万の神(やおよろずのかみ)」という、驚異的に多数の神々が日常生活の随所に宿り、人々の生活に親しまれてきました。
日本神道の面白いところは、これだけたくさん、800万もの神々がいると、神様の間に序列が出来ているということです。800万の神々の上位に立つ神々としては、「天岩戸(あまのいわと)」の神話で知られる太陽神の女神、天照大神(あまてらすおおみかみ)、その弟の須佐之男命(すさのおのみこと)、「因幡の素兎(いなばのしろうさぎ)」の神話で知られる、大国主命(おおくにぬしのみこと)などがいらっしゃいます。
日本神道のもう一つの特徴は、神様が人間世界に降臨するには、「依り代」が必要であるとの考え方です。神様には実体がありません。実体世界に出現するには、何かの実体を借りてそこに神様が入る(憑依)必要があります。この憑依の対象を「依り代」といい、自然物としては木(たとえば神社の神木)、岩、特定の山や森(たとえば富士山や愛媛の石鎚山)、人工物としては鏡(天岩戸の神話で、天照大神を誘い出すのに使った)、御幣(紙や布を使った飾り物)、神棚などがあります。ときには、人間が依り代になることがあります。神主や巫女です。巫女が神宿り状態になって神の言葉を伝える(シャーマニズム)こともあります。神道ではありませんが、青森、恐山のイタコの口寄せなどが日本の代表的なシャーマニズムです。